看護実習で心に残る指導者の言葉|『最後に出会う人』

心に残る話

看護学生のころ、

指導者の先輩看護師に言われたセリフで、

今も私の中に残っている言葉がある。

きっと、私の原点になった。

実習初日、指導者の言葉

看護学生2年生。

療養型病棟での実習初日。

午前、9時。

実習メンバーとデイルームでオリエンテーション。

朝の騒がしさも、残っている。

ーー今日から2週間、ここで実習が始まるんだ

そう、思っていた。

一通り、病棟の案内や

実習の注意事項を確認し終わった後のことだ。

ふいに、指導者が私たちの方を向いて言った。

「私たち看護師が、患者さんにとって、人生で最後に出会う人になります。」

鳥肌がたった。

なぜかは分からない。

ただ、なぜかすんなりと私の中に入ってきた言葉だった。

療養病棟だ。

看取りがある。

もちろん、意識がある人も、ない人もいる。

私たちのことを、認識してくれないこともある。

ただ、”出会い”がなくなるわけではない。

私たちは、まだこれから多くの人と出会うだろう。

ここにいる人にとっては、この出会いが最後になるかもしれない。

なんて、残酷な言葉だと思った。

残された時間の違いを突きつけられた気がした。

立ったままだった私は、ただ、

鳥肌のたった腕をさすりながら、

聞くことしかできなかった。

ここに来るまでに、どれだけの人と出会い、

笑い、怒り、泣いてきたのだろう。

多くの人と支え合い、ここまで来たのだろう。

だけど、その言葉の裏にあるものを、

どこまで理解できていただろうか。

当時の私は「重く」感じ、

「いい人でいなくては」

そんな責任を、一気に背負った気がしていた。

看護実習での戸惑い

看護師とは、

療養上の世話をしたり、

診療の補助を行う仕事だと、思っていた。

間違っていない。

看護師の定義を調べると、そう出てくる。

ただ、その定義の中に、

精神的なものは含まれているのだろうか。

どこまでが、”療養上の世話”なのだろう。

漠然と、そんなことを思った。

患者さんと関わるなかで、いつか、わかる日が来るのだろう。

と、なんとなく、そう思った。

根拠はなかった。

「最後に出会う人」と言われた。

私はどんな人であるべきなのか。

私が、最後に出会いたい人はどんな人か?

当時の私は”看護師”に憧れがなかった。

理想の看護師像も、ない。

患者さんが、どんな看護師を望んでいるのかも、よく分からない。

「最後に出会いたい人」の正解が分からなかった。

教科書に書いているような正しい看護師になればいいのか

ドラマに出てくるような熱い看護師になればいいのか

あの時の指導者さんは、

どんな看護師として、患者さんに接して欲しかったのか。

届かない声、少しの反応

療養病棟

ベッドサイド、

朝の検温に向かう。

「おはようございます。」

「……」

「失礼します。お体触りますね。」

「……」

反応はない、名前を呼ぶが返答もない。

目が合うこともない。

寝ているのか、起きているのか。

それでも教科書通りに、声掛けを続ける。

正直、心の中では不思議だった。

ーーこの声掛けに、意味はあるのか。

反応のない患者さんへの声掛けが、

私の独り言のように感じた。

ただ、隣に指導者さんがいた。

声掛けを、止めることはできなかった。

”態度が悪い”と減点されたくなかった。

「何事もなく実習をやり過ごしたい」

がむしゃらに頑張る気はなかった。

傷つきたくはない。

カラ回って減点、なんてあり得ない。

そんな私は「答えが知りたい」と「無難に実習を終えたい」に挟まれていた。

ある日、実習メンバーの男子学生が声掛けをした。

「こんにちは。あさりさんと一緒に実習に来ています。よろしくお願いします。」

「〜〜。」

反応があった。

小さい反応ではあったが、瞼が、口元が、動いていた。

ーーどうして。私の声掛けは反応しなかったのに…

顔には出さなかったが、ショックだった。

私は、毎日声掛けをしていたのに。

たった、一言だ。

高音の方が聞き取りにくいのは、知っていた。

低い声を出していたつもりだった。

でも、やはり男性の声域には敵わないのだ。

少しだけ、鼻の奥がツーンとした。

指導者さんにも言われた。

「女の人の声は聞こえにくいからね。私たちの声も反応しなかったよ。」

改めて言われると少し、ホッとした。

私だけじゃなかったのが、救いだった。

どんなに言葉を尽くしても、届かないことがある。

気持ちの”ある””なし”に関わらず、だ。

安心したのと同時に、少し寂しさもあった。

どんなに頑張っても報われないことがあるのだと。

余計に、頑張るのが嫌になった。

だって、頑張っても報われないのだ。

それでも、声掛けを止めることはできない。

”無難に過ごしたい私”が、

声掛けを止めることを許してくれなかった。

それでも、考え続ける

実習が終わった後も、日常に戻っても、

少しだけ引っかかっていた。

「最後に出会いたい人」の答えたが知りたくて。

あの実習で、私の声は届かなかった。

届いていたのかもしれないが、反応はなかった。

あの患者さんにとって、”最後に出会った人”は

私だったのか、彼だったのか。

答えは、今もわからない。

私だったらいい、と思う反面、

私じゃなくて良かったのかもしれない、

と思う気持ちもある。

あの日の私の対応が正しかったのか、答えは出せないが

声掛けを続けていて、良かったと思う。

「優しさ」ってなんだろう。

「誠実」ってなんだろう。

結論は、今も出ていない。

だって、感じ方は人それぞれだ。

私が「最後に出会いたい人」と、

あなたが「最後に出会いたい人」はきっと、違う。

私が「最後に出会いたい人」になれているかも、まだ、わからない。

ただ、看護師として働いている今も、考え続けている。

あの時、言われた

「私たち看護師が、患者さんにとって、人生で最後に出会う人になります。」

その言葉の意味を。


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